1週間空けての更新です。
”トータルな精油を信頼しよう
- ジャン・バルネ博士”
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アロマテラピー黎明期より、ジャン・バルネ博士、ロバート・ティスランドの著作や精油辞典など、30冊以上もの書籍の翻訳や執筆を手掛けた、髙山林太郎氏。 まさにアロマテラピー界の生き字引ともいえる髙山氏がアロマテラピーの歴史を語ります。 移りゆく時代背景や思想と合わせて植物療法的アロマテラピーを読み解く、対話型インタビュー番組です。 ※ 2015年9月26日に高山先生は逝去されました。謹んでご冥福をお祈りします。 髙山林太郎ブログ ⇒ http://rintarotakayama.blogspo
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1週間空けての更新です。
”トータルな精油を信頼しよう
- ジャン・バルネ博士”
アロマテラピーを語る上で外せない人物の一人に、アロマテラピーと芸術の不可分な関係前・後編でも語られたマルグリット・モーリーがいます。
アロマ(芳香)テラピー(療法)という名前から、香りを重視した療法ととらえられがちのアロマテラピー。
この曖昧な部分は、精油を販売する業者に”偽和(精油を増量すること)”する隙を与えてしまってもいます。
アールヌーヴォーの中心地の一つであるオーストリアのウィーンで、マルグリット・モーリーは生まれました。
アロマテラピーと美容を結びつけ、発展させたマルグリット・モーリー。
芸術と医学とアロマテラピーの橋渡しとなったその功績と背景を解説して頂きます。
【お知らせ】
ヨーロッパで興ったアール・ヌーヴォー(新しい芸術)の流れ。
高山林太郎先生は、これがなければアロマテラピーは
今とは違っていたものになっていたかもしれないと言います。
セルゲイ・ディアギレフの興したバレエ・リュスなどの、陶酔を求める芸術と
気候やその時々の条件によって、同じ植物でも年々歳々(ねんねんさいさい)採れる成分が異なってくるアロマテラピーエッセンシャルオイル精油。
天然100%であることには変わりなくても、成分を抽出する過程からも質に違いが出てくるといいます。
そんな精油を、特に植物=芳香療法の視点から”信頼できるもの”として選ぶ基準はどこにあるのでしょうか?
アロマテラピー中興の祖で医師であるジャン・バルネ博士の「トータルな精油を信頼しよう」という提言。
この言葉は、香りを楽しむ以外で考えると、植物に含まれる成分は個々の成分に関わらず身体にフィットしてくれる可能性を示唆しています。
病気になればお医者さんにかかるのは当たり前のことですが、
その中でアロマテラピーはどのようにして活用できるのでしょうか。
東洋には古くから「医食同源」と言う言葉があります。
また、西洋でもギリシャの医師、ヒポクラテスは「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」と言って、食べ物でなくてはなおせない病気があることを説きました。
料理などで食卓でもよく目にする植物から抽出したアロマテラピーは、精油を用いた植物療法と捉えなおすことができます。
揺籃期にある療法、既存のものを補完する療法として、アロマテラピーの可能性を探ります。
アロマテラピーの中興の祖である、ジャン・バルネ博士。
ジャン・バルネ博士は従軍医師としてインドシナ戦争などに従軍し、
多くの負傷兵の治療に当たりました。
ものの本によればその従軍中にティートゥリーなどのエッセンシャルオイルを使って
調香師 ルネ=モーリス・ガットフォセ(René-Maurice Gattefossé)によって、
ラテン語で香りを意味する「aroma:アロマ」とギリシャ語系統のラテン語に起源を持つ、
実験中に追った火傷をラベンダーの精油で治し、それをきっかけにして精油の効果を研究していったフランスの化学者、ルネ=モーリス・ガットフォセ氏。
1915年に起こったこの火傷事件の後、10年以上経って1928年に学会でこの研究成果を発表し、そこでアロマテラピー(芳香療法)という言葉が世に広まりました。
この、近代アロマテラピー史を語る際に欠くことのできない火傷事件について、ルネ=モーリス・ガットフォセの孫娘モアランさんから直接事実関係をきく機会を得た高山林太郎先生。
ガットフォセの火傷事件を世に広めた原典であるジャン・バルネ博士の著書を翻訳した高山先生が語る、その真相とは一体どのようなものなのでしょうか。
※一般に伝えられているルネ=モーリス・ガットフォセの火傷事件
1920年代初頭、南フランスのプロバンス地方において、香料の研究者であった…